210712先日、吉本 ばななさんの「ここちよく VOL.6 喜び」(ORBISに掲載)というエッセイを読みました。
その一部を抜粋すると、下記のような表記があります。

雨が降ると人間の側は「うわあ、降ってきた、めんどうくさいなあ」と思うけれど、植物の喜びはものすごい。さっきまでちょっと乾いて枯れ気味だった緑がいっせいにつやつやになって、ぴんと張る感じがする。
あれを見ると、ああ、喜んでいるんだと思う。
そんなとき緑だけを中心に街を見ると、街中から喜びの声が上がっているような色彩に満ちていて、たとえ自分は傘を持っていて荷物が多くて足元も濡れていても、少しだけ気持ちが上向きになる。

 同じ「雨が降る」という現象について、「今日は荷物が多いのに」「足元が濡れた」という捉え方もあれば、「植物が喜んでいる」という捉え方もある。
他者(植物)の立場に立って物事を捉える=ブレイディみかこさんの『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』で表現される「エンパシー」…<自分と違う理念や信念を持つ人や、別にかわいそうだとは思えない立場の人々が何を考えているのだろうと想像する力のこと>=「自分で誰かの靴を履いてみること」に通じるように思いました。

ある現象は、自分にとってAでも、相手にとってはBかもしれない。「もし自分が相手の立場だったら」と想像することは多様性を尊重することにつながるように思います。
「同質でない」ということは、説明を尽くす必要も、話し合い調整する必要もある。
手間も掛かるし、大変なことも厳しい面もある。
それでも、多くの人と「共に生きる」ということは、それを引き受けて生きていく、ということなのでしょう。

 また、このエッセイにはごきげんな赤ちゃんが全身で喜ぶ様子の表現もあって、身近にあふれる様々な「嬉しい」「ここちよい」を全身で喜ぶ、その感覚を大切にしていきたいと思いました。

皆様の毎日が健やかで喜びあふれる日々でありますように。