あけましておめでとうございます。

2020年が、皆様にとってお健やかでお幸せに満ちた毎日でありますよう、心からお祈り申し上げます。

さて、当院には待合室と中待合室に本棚があり、待ち時間を快適にお過ごし頂けるよう、新聞、雑誌、漫画、本等を設置しているのですが(なお、恐れ入ります「目やに」等ある患者様については、院内感染防止のため、新聞・本等に触られませんようお願いしております)、その中に『VERY』という雑誌を置いています。

VERYを選択したのは、当院が小児眼科、斜視弱視の検査も行っているため、ママパパが30代前後のファミリー層に多くご来院頂いており、VERY購読年代と重なるかな、と思ったためなのですが、本棚の雑誌をきれいに整理している時、ふと手に取ったのが『VERY 2019年12月号』でした。

巻頭の「小島慶子のもしかしてVERY失格!?」のエッセイがたまたま最終回で、そこに「多様化が進み、意見の違う人や習慣の異なる人が増える中、それらバラバラの人々が平和的に共存するために知恵を絞り汗をかく人材を育てるための教育」と「社会という私達の生活を支える基盤にしっかりコミットして、自ら我が子に手渡す世界をよくしていこうとする」ことの大切さについて、書かれていました。

小島慶子さんの環境、ジェンダー、教育に関する発信等、どれも確信をついていて、また小島さんの「社会を良くしたい」という想いが伝わってきて、すごいなぁと思いながら拝見しました。

小島さんのエッセイを読んで、私は、教育とは「橋を架ける」こと、「他者の痛みや置かれた状況に思いを巡らし、歩み寄る努力をし、共に生きようとする、その方法を学ぶこと」のように思いました。

そんな想いを巡らせながらお正月の新聞をめくっていたら、2020年1月の新潮社の新年のご挨拶に、こんな一節がありました。

「多様性のある社会は、一方で「面倒くさい」社会でもあります。多様性が引き起こす様々な問題をリアルに描き、それを親子でともに悩み考え乗り越えていく日々を綴って23万部の話題作となっているのが、ブレイディみかこさんの『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』です。202001

舞台はイギリス。ブレイディさんの13歳の息子が通う地元の中学校は、人種差別に貧富の差、ジェンダーの問題などにあふれた、まさに世界の縮図のようなところ。毎日が事件の連続です。

ある日のこと、学校でこんなテスト問題が出たのだといいます。

「エンパシーとは何か?」

「シンパシー」は他人に共感する感情のことですが、「エンパシー」という聞きなれない言葉の意味を、ブレイディさんはこう綴っています。

<自分と違う理念や信念を持つ人や、別にかわいそうだとは思えない立場の人々が何を考えているのだろうと想像する力のこと>

そしてブレイディさんの息子は、エンパシーについてこう回答したのです。

「自分で誰かの靴を履いてみること」

立場や意見が異なる相手を理解しようと歩み寄る、そんな毎日の積み重ねが「共に生きていく」ということなのかもしれません。

「あなたを、私を大切に、今日を生きる」

それは、誰かや自分を一方的に犠牲にすることではなく、共に手を携えて、理解し合える落としどころを見付けていく地道な行動の積み重ねで、分かり合えないしんどさを抱えながらそれでも理解しようと歩いていくことなのかもしれません。

2020年は日本でオリンピックが開催されます。

ますます様々なバックグラウンドを持つ人々が集まる中で、多様性を認め合い、寛容な社会を作るのは、「誰か」ではなく、「私」なのだと思います。

自分から、まず一歩を踏み出す、そんな毎日を積み重ねていきたいと思います。